田園調布雙葉学園カトリックセンター「愛の泉」
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けさのみことば ~こどもとともに~2023.4.7


2023.4.7
聖金曜日「主の受難」
 「父よ、彼らをお許しください」

(ルカ23章34)


 イエス様が受けた苦しみは、私たちが想像もできないことです。
 弟子の一人は、イエス様をお金で売ってしまいます。
 イエス様は、何も悪いことはしていないのに、武器を持った兵隊に囲まれ、裁判の場に連れて行かれます。
 いつもそばにいた弟子たちは、逃げてしまい、一番イエス様を慕っていた弟子ペトロには、「そんな人は知らない」とまで、言われてしまいます。
 いばらの冠、鞭打ちの刑、イエス様の体はひどく傷つけられました。
 人々はイエス様をバカにして、笑い者にしました。イエス様は、体だけでなく、心もひどく傷つけられたことでしょう。
 そして、とうとう最後には、その命まで奪われます。
 イエス様を十字架につけたのは誰でしょう。
 どの様な思いでそうしたのでしょう。
 王様も、祭司も、学者も、みんな自分や自分の仲間の幸せだけを考えたのでしょう。その幸せや自分の地位を奪われるかもしれないという恐怖から、イエス様を憎み、自分たちよりも人々に受け入れられているイエス様を妬んだのです。
 人々は、イエス様が、自分たちが考えていたようにしてくれなかったので、イエス様を恨んだのです。
 みんな自分勝手な理由です。私たちは、祭司たちや「十字架につけろ」と叫んだ人々を、ひどい人だと思ってしまいます。
 でも、よく考えてみると、私たちもイエス様を十字架につけた人々と同じような弱さを持っています。自分のことだけに目を向けて、誰かを憎しみや妬み、恨みの心で見てしまうことがあります。
 しかし、イエス様の目は、いつも周りの人々に向けられていました。どんな相手も、決して見捨てたり、恨んだりなさいませんでした。
 最後の食事では、弟子の足を洗い、パンを割いて救いのお約束をなさいます。
 弟子に切り付けられ傷ついた兵士のけがを癒したのはイエス様です。
 自分のことを「知らない」と言ったペトロに向けられたイエス様の眼差しは、きっとペトロを労わる優しい眼差しであったことでしょう。
 悲しむ婦人たちとその子どもの将来を逆に気遣うイエス様。
 自分を十字架につけた人々に対して、「何をしているのか分からないのです」と、神様に赦しを祈るイエス様。
 悪いことをして十字架につけられた罪びとの願いをかなえ、救いの手を差し伸べるイエス様。
 その言葉の端々から、イエス様の「いつくしみの心」が伝わってきます。
 自分の命が失われるのが分っていても、一言の恨み言も言わず、誰かをののしることもせず、イエス様は、何度も倒れながらも、その道を歩まれます。その苦しみの、受難の道でも、イエス様は私たちを見つめてくださっているのです。それも決して清く正しいとは言えない、弱い私たちを、優しい眼差しで見つめて下さっています。
 イエス様が受けた苦しみは、もともと、自分のことしか考えられない私たちの弱さから生まれたものです。それを忘れてはいけません。
 しかし、それだけでなく、その苦しみの中にあっても、私たちを見つめて下さるイエス様のあたたかい眼差しも忘れないでいましょう。イエス様の受難での姿こそ、私たちの救いです。
 私たちを見つめるイエス様の眼差しに、私たちはどう応えていけばいいのでしょうか。イースターを迎える前の準備として、一人ひとり考えてみましょう。  


けさのみことば ~こどもとともに~

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