田園調布雙葉学園カトリックセンター「愛の泉」
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けさのみことば ~こどもとともに~2023.02.06


2023.02.06
「狭い門から入りなさい」

(マタイ 7・13)


 「狭い門」と「広い門」二つあったら皆さんは、どちらから入りますか。
二つの門ことをちょっと考えてみましょう。
「広い門」。
 門が広いのはなぜでしょうね。
 それは、沢山の人が選んで通るから、広くなったのかもしれません。
 私にとって安心できるのは、みんなが通る門のほうかもしれませんね。自分でしっかり考え選ばなくても、みんなが通っているからと言えますからね。また、どちらが楽か、どちらが得かといえば、通りやすい広い門かもしれません。門が広ければ、いろいろな物を持って入ることも出来ますし、大手を振って、威張って進んでも、何の苦労もなしに入れるでしょう。
 でも、イエス様は仰います。
「狭い門から入りなさい。」
 「狭い門」。
 それは小さな小さな門です。だから、頭を下げて、体を出来るだけ曲げて、それでも上手く入れないので、肩をぶつけたり、膝をぶつけたり・・・。その痛みを我慢してやっと入れる門です。何か荷物を持っていたら絶対に入れません。大切なものでも、そこに置いて入らなければいけません。何だか、大変そうですね。
 では、イエス様は、なんで「狭い門から」と仰るのでしょう。
 イエス様は続けて、お話になりました。
 「楽な門から入って、広い大きな道を進むのは、あぶないよ。その道では天国には着けないよ。確かに狭い門から入る人は少ないし、道も狭く、石ころだらけで大変だよ。でもその道を努力して一生懸命進んでいけば、必ず天国に着くだろう。私も狭い門から入り、狭い道をすすんできた。重い十字架を背負ってね。だから、狭い門が大変なことはよく知っている。でも大丈夫、いつも私が一緒に歩んでいるからね。私と一緒に、狭い門から入って狭い道を歩む人は、必ず天国に着くことができるだろう。」
 イエス様が生きていた時代、町を守るために、町の周りは大きな高い壁で囲まれていました。町の中に入るにはいくつかある門をくぐらなければいけません。大きなアーチが着いた広い門をくぐるのは、立派な身なりの人、大きな荷物を持つお金持ちの人、軍隊の人、皆、胸を張って門をくぐります。自分が手に入れたものをすべて持って、そのことを自慢して入ってきます。
 小さな門は目立たない場所にあり、体の不自由な人や貧しい人、周りから低い評価を受け何も持つことができない人、自分の弱さや足りなさを知っている人が、ひっそりと通る門でした。なんとなくそう決まっていたのです。神様の子どもであるイエス様は、大手を振って広い門から入ることもできたでしょう。でも、イエス様は、貧しい人、何も持てない人、傷ついている人たちに寄り添って、狭い門から入ります。自分が持っているものをすべてその小さな貧しい人たちに与えて、その人たちとともに、身をかがめて狭い門から入ります。
 イエス様のように、自分が手にしたものを小さな人と分かち合い、その人たちに寄り添っていくことが天国への道なのでしょう。
 でもイエス様はそれだけを言いたかったのではない気がします。
 天国への門を、皆さんは胸を張って威張ってくぐれますか。先生にはその自信がありません。神様に向かって、「私は立派な生き方をしてきました」とは、とても言えないからです。もしひっそりとは入れる門があったら、そっちを選ぶでしょう。でも、そんな先生と一緒に、イエス様は身を低くして狭い門から入ってくださるのです。
 イエス様は、
 「自分の足りなさや弱さを知っている人を見捨てることはしませんよ、あなたと一緒に歩んでいきますよ。だから安心して今できることを一生懸命して、天の国を求めていきましょうね。」 と、仰ってくださっているのです。なんて嬉しいことでしょう。
 今日のお話は、ちょっと難しかったかもしれません。でも、「狭い門から入りなさい」というイエス様のお勧めは、覚えていられるでしょう。きっと大きくなったとき、このイエス様のみ言葉が、皆さんを天の国に導いてくれるはずです。
 「狭い門から入りなさい」
 イエス様の子のみ言葉を、しっかり覚えていてくださいね。


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