田園調布雙葉学園カトリックセンター「愛の泉」
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ガリラヤ修道院のシスター方 インタビュー 第1回

シスター方のインタビューを紹介いたします。


インタビュー 第1回 「どうしてシスターに」

シスター 奥井 玲子

 シスター奥井は三浦郡の葉山町でお生まれになり、教育熱心でいらしたご両親の元、小学校1年生から高校3年生まで横浜雙葉学園でお育ちになりました。8人兄弟の8番目でいらっしゃり、御家庭では子供達の自主性を尊重され、常に子供達に寄り添い温かく見守るお父様の優しい眼差しの下、様々な事に好奇心を持たれどんな事にも一生懸命に取り組むお人柄が育まれていかれました。
 教育者でいらしたお父様は子供の教育には家庭と学校の考えが一致していることが大切であり、物質的な強さよりも精神的な強さを重んじられていた事から学校の選択としてはミッションスクールである横浜雙葉学園をお選びになられました。
 小学校入学の年に第二次世界対戦が始まり、学校生活を通して戦火の中で過ごされるのですが、敵国でありながらも祖国を捨てて献身的に祈りと使命に命を捧げるイタリアやフランスのシスター方の姿とその尊き生き様に心魅せられて、近くの教会の御ミサに毎朝通うようになり、17歳の時に洗礼をお受けになります。その後シスターとしての道を生きる決意をなさり、23歳で幼きイエス会に入会なさいました 。世を捨ててキリストの花嫁として生きる決断をされ、ひたすらにその使命の道を歩まれています。

好きな御言葉
 いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。どんなことにも感謝しなさい。
 - テサロニケの信徒への手紙5章16節から18節

シスター 篠崎

奈良の地でお生まれになられたシスターは、お父様のお仕事の転勤に伴い、大阪、鳥羽、大分、福岡と転校の多い小学校生活を送られました。中学になると福岡雙葉に入学され、それがシスターとキリスト教との最初の出会いのきっかけでありました。
入学して初めて出会われた黒い修道服を纏われたシスター方の存在に、初めは驚きを感じたものの、転校が多く内気でいらしたシスターのお心には神父様のお話や美しい聖歌が徐々に染み入り、いつしか登校すると毎朝修道院の御聖堂に足を運ぶようになり、シスター方とご一緒にお祈りをする事が喜びとなられて行かれました。
特にイタリアのシスターがお祈りをなさる姿に心惹かれ、ある時、担任の先生から、外国人のシスター方は日本の子供たちの為にご自分の国を捨てて人生を捧げて下さっていると言う事実を知らされ、深い感銘を覚えられます。
当時は各学年に必ずシスターがいらしたので、思春期の最中にあって、そう言ったシスター方との関わりを通して、沢山の影響を受けられたシスターは、いつしかご自分もクリスチャンになりたいと言う思いを募らせていかれます 。
20歳の時に洗礼を受ける決心をなさり、その後もシスター方の生き様に心深く動かされ、常に弱い立場や貧しい子供達に寄り添い、献身的に働かれるシスター方の様に、自らもご自分を捧げて人々のために尽くす働きがしたいと、24歳の時に幼きエス会に入会することを決断なさいました。

シスターの好きなみ言葉
 目を上げて、わたしは山々を仰ぐ。
 わたしの助けはどこから来るのか。
 わたしの助けは来る
 天地を造られた主のもとから。
 - 詩篇121

シスター 高岡

シスターは女学校の時に洗礼を受けられたお母様と、そのお母様の信仰を理解し、温かく見守られたお父様の元にお生まれになりました。 戦争中は教会に行く事は許されず、隠れキリシタンの様な生活を余儀なくされますが、終戦を迎え、4年生の時に初めて焼け野原の中を、文京区にある関口教会まで足を運ばれました。信仰深き方でいらしたお母様は、水道橋にある神田教会にも度々お子様方を連れて行かれました。それは土地柄もあり、アメリカの進駐軍の兵士やそのご家族が沢山いらっしゃったので、戦後の混乱の中であったにも拘らず、戦勝国、敗戦国と言った隔たりが全く、教会の中では1つの家族として一体となり、共に祈り、共に美しい聖歌を歌うと言う体験ができたからです。この時の思い出がシスターの教会の原風景として、今も心の中に焼きついていらっしゃるそうです。
その後はお母様のご希望により、中学から雙葉学園にて学ばれました。そこで出会われたシスター高嶺校長の、常に生徒に混じって苦楽を共にしお掃除もなさるその人柄とお姿に大きな感銘を受けられました。又戦争の最中にも、自らの国を捨てて日本の子供達の為に生涯を捧げて献身的に勤められるヨーロッパのシスター方にも心奪われ、特に恵まれない方々への格別なお心遣いに感動なさり、いつしか自らもその様な生き方をしたいと望まれるようになられました。短大を卒業する頃には修道生活に生涯を捧げる決心をなさいました。今振り返ると、シスターは生まれた時から神様に導かれていて神様によって育てて頂きながら神様の御恵みの中で歩んでこられた人生であったことに、今、心からの感謝を捧げたい思いで一杯でいらっしゃるそうです。

シスターの好きなみ言葉
 私たちは見えるものにではなく、見えないものに目を注ぎます。
 見えるものは過ぎ去りますが、見えないものは永遠に存続するからです。と記されています。
 見えるものにではなく見えないものにこそ目を注ぐのだと。
 - コリント4章の16から18

シスター 谷元

長崎のカトリックのご家庭の元にお生まれになられたシスター谷元は、同時に教会の中でお育ちになりました。高校時代には教会学校の青年会の活動に力を注ぎ、そこで出会った神父様から将来の仕事として幼きイエス会に勤めることを勧められ、それが最初の入会を考えるきっかけでありました。
大学を卒業後1年間は聖マリア学院に勤められ、その間に修道生活について真剣に考えられる様になり、最終的にこの道を選ぶ決断をなさいました。カトリックの家庭でお生まれになり、同時に教会と共に成長されたシスター谷元にとって、修道生活とは全く特別なものではなく、生きる1つの道として選択する事はごく自然な流れでいらっしゃいました。修練期を経て、葛西教会のボランティアをしながら、最初は田園調布雙葉学園に勤められ、その後福岡雙葉学園に移動なさり、学校教育の現場で長らく奉職されました。退職後は練馬の公立の施設で、親のない子供達の支援やホームレスの方々の支援をなさり、又英語の勉強のためにタイやミャンマーにも行かれました。現在はイエズス会のせせらぎセンターから依頼を受け、オンラインにて祈りの同伴に従事されています。

シスターの好きなみ言葉
 あなたたちは真理を知り、真理はあなたたちを自由にする。
 - ヨハネによる福音書8章32節

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